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2013年03月04日

ハーバード大学での研修

2013年2月25日〜28日
米国 ボストンにあるハーバード大学歯学部での研修に参加して参りました。
米国の大学は、これで6校目9回目となりました。

本来ならば、日本航空の直行便でボストン入りするはずでしたが、例のB787の不具合の為にニューヨーク経由となってしまいました。と言ってもニューヨークからは1時間足らずの飛行でした。

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研修は4日間でしたが、朝の8時に集合して8時半から18時過ぎ迄と非常にタイトなスケジュールで行われました。 しかし、内容はとても濃く、義歯から歯内療法、インプラントと多岐に渡って学ぶ事が出来ました。

この研修会は、岩手医科大学歯学部との密接な繋がりで実現したコースで、岩手医科大学の先生方を始めハーバードの先生も非常に一生懸命に指導をして頂けたのが印象的でした。恐らく今まで行った海外コースの中では大学側の対応や、講義内容に関してNo1だと思いました。

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IMG_2762.jpg歯周病治療の権威ネビンス先生と

posted by 久保倉 弘孝 at 12:47| Comment(0) | 歯科総合 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月22日

歯をどうけずるか! 西川先生のせみなー

2012年9月16日(日)

本郷 電気会館

本日は、歯科医の基本中の基本の歯をいかに削って、修復するかを
東京で開業の西川先生に習いました。

毎日やっている事ですが、西川先生はそれを科学的に検証されている方
ですので、改めて勉強をするのは新鮮でした。

実習も行われました。

17時で終了して、御徒町の焼き肉屋さんで懇親会がありました。

それから、あさってからアメリカはフロリダのオーランドで始まる国際インプラント学会
(ICOI)に参加する為に蒲田のホテルに泊まって早朝発(6時55分;デトロイト行き)の
出発に備えました。
posted by 久保倉 弘孝 at 20:03| Comment(0) | 保存修復学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月24日

ベトナム4日目

2012年6月23日(土)

ベトナムホーチミン市
ICOI アジアパシフィックセクション
インターコンチネンタルホテル 

本日も6時に起床。そして、写真の整理。
7時半から3階のジムで2キロランニング。

9時から2階で、カーン先生の講義

やはり抜歯即時に対する講義

前歯部の抜歯の場合、頬舌的に、何も補填材を入れないと3.5ミリ減る。
入れると1.5ミリとなる。つまり2ミリ守れる。 

口蓋側に埋めなければ行けないのは判っていても、埋入中に頬側に移動する。
よって、抜歯即時の場合は、起始点をもっと口蓋側にする必要がある。

又、近遠心的にも骨の無い方に移動する傾向がある。

(ピエゾを使えば良いと思った)

もし、頬側に寄り過ぎた場合は、リトライする必要がある。

頬側の骨が減った場合、歯肉の移植をする。


午前中で本日は終了。

午後からは戦争遺跡のクチントンネルへ。

ホーチミンから1時間反程度。7人で日本語のできるベトナム人ガイドと向かう

その中で色々な話を聞けました。

ホーチミンの人口は800万人 バイクは300万台もあるそうです。
ベトナム戦争が終わって37年。 中国とは1000年以上戦争。それから100年フランスの統治。そしてアメリカの傀儡が30数年。そしてベトナム戦争

ベトナム人は民族的には、タイやカンボジア、ラオスとは顔つきが違い、中国に近いそうだ。 現在はアルファベットだが、昔は漢字表記だったそうだ。だから日本語で治安は
ベトナムでもチアン、注意はチュウイと同じ漢字の語源だそうだ。

タイ、ラオス、カンボジアはサンスクリット文字で、ベトナム人は読めないそうだ。

バイクは、ベトナムではホンダと言うそうだ。本当に多い。隣りのカンボジアやラオスではそんな事はないそうだ。ホンダやヤマハはベトナム中部に工場があるそうで、国産化されているそうだ。250CC以下のバイクは、20万で買っても、売り飛ばす事ができるそうだが、それ以上の排気量だと法的に売れないから全く人気がないそうだ。だから原付みたいなバイクだらけ! 2人乗りは、許可で、子供2人まではOK だから4人まで。ヘルメットは義務。違反は1500円くらいの罰金だそうだ。

ベトナム人の主食は、米。 そして産業はやはり農業。でも機械化はされていなくて、水牛が主体だそうだ。 でも、中国が水牛の爪かなにかをほしがり、沢山殺してしまったりして大変な事が有ったそうだ。又、蛇や猫も中国の一部では食べるそうで、それをベトナムから大量に輸出されたそうで、ネズミが大発生して大変な事もあったそうだ。 

日本のと同じで、中国はあまり好きでなさそうだが、経済的な依存から嫌いとは言えない現状みたいでした。

クチンのトンネル遺跡は、フランス植民地時代から作られたそうで、もの凄く狭いトンネルを粘土質の地面を削って作ったもの。 からだの大きな米人が入れない様な工夫がしてありました。

同じく、アメリカと戦った日本人としては、気候風土の違いはあるものの、反骨の精神で頑張ったベトナム人に敬意の念を抱かざるはえませんでした。

それにしても、暑かったです。 

そして、ホテルに帰って、周囲を散策。と行ってもバイクが多くて、横断するのも轢かれそうで怖かったです。

でも、当時の南ベトナム政府の建物が見られました。私は当時は高校生だったと思います当時の、南ベトナムの大統領はグエンバンチューと記憶していましたが、ガイドさんに聞くとそうだそうで、サイゴン陥落時の南ベトナム政府の前に行く事ができて、歴史の流れを感じる事が出来ました。
posted by 久保倉 弘孝 at 11:28| Comment(0) | インプラント学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする